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歴史History

旅人が行き交い、
疲れを癒す場所

いくつもの山が連なる今庄。厳しい峠越えに挑む人々をもてなし、疲れを癒す場所として行く人来る人を支えてきた歴史があります。京や江戸に行き来する越前国藩や旅人が必ずと言っていいほど利用しました。
そもそも宿場とは、旅人を泊めたり休めたりする役割がありますが、最も重要な役割が、公用の荷物や通信物などを、隣の宿場へと運ぶことでした。そのため、宿の中心には「本陣」「脇本陣」「問屋場」などの重要な施設が集まりました。

「本陣」や「脇本陣」は大名や幕府の役人、公家が使用した宿泊施設とされており、武士や一般の旅人が使用したのが「旅籠」です。「問屋場」は、荷物や手紙の継立を行う場所として、馬や人足を常備していました。

日野川と山々に囲まれた今庄宿の道は、天正6(1578)年、柴田勝家が北国街道の改修を行ったことで、完全な形になりました。初代福井藩主である徳川家康の次男、結城秀康は防御に配慮した街並みへと整備し、それ以降は多くの著名人が往来した記録が残されています。

要所要所には「矩折」が見られ、急に屈折するために遠くを見通せない作りになっています。また道に沿って軒を連ねる家々からは、火事や豪雪に備える造りが目立ち、当時の人々の知恵や文化をそのままに感じることができます。

宿場町から
鉄道のまちへ

明治時代になると、江戸時代の宿駅制が廃止され、現在の国道8号が開通したため、今庄を往来する人は減り、宿場町としての重要性も低下していきました。しかし、1896年に北陸線敦賀ー福井間が開通。またしても、峠越えに挑む人々を支えるため、今度は鉄道のまちとして新たな役目を担うことになりました。特に敦賀ー今庄間は、当時の鉄道技術では限界といわれるほどの急勾配が続く日本一の難所であり、後ろから押す機関車(補機)が必要でした。その連結や取り外し、さらには燃料補給を行うため、すべての列車がここ今庄駅に停車しました。

この停車時間を利用して、今庄は弁当や飲み物、新聞などを販売する立ち売りで親しまれました。特にホームに開設された「今庄そば」は憩いの味として全国に知れ渡りました。寒暖差の大きい気候と綺麗な雪解け水が備わる今庄は、古くからそばの栽培が盛んで、そばの実の風味と歯ごたえが醍醐味です。

歴史とともに
歩み続ける

それから時は流れ、今庄は、2021年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。北国街道約1.2km区間に面する江戸時代から昭和30年代に建てられた建造物が対象で、越前地方の豪雪地に発展した宿場町の歴史的風致を伝えています。町割りや道幅は当時からほぼ変わっておらず、また人や物資、情報の伝播に深くかかわってきた今庄には独自の文化や景観が形成されました。当時の人々の生活の知恵や食文化、商業の様子を垣間見ることができる貴重な遺産となっているのです。